2018年10月13日(土)に世田谷区・成城大学の後援をいただき、立正大学の畢 滔滔 (ビイ・タオタオ)教授をお迎えし勉強会を開催いたしました。
畢先生は、今春までポートランド州立大学で研究をされており、ポートランドにおける1960年代のまちづくりから、現在直面する新たな課題まで最新動向を踏まえてお話いただきました。
このテーマについて研究をまとめられた畢先生の著書はこちらです。(http://www.hakutou.co.jp/book/b284831.html)
まず勉強会の冒頭に、事務局の井上から、この8月に協会設立報告を兼ねたポートランド視察訪問の活動報告をさせていただきました。
続く畢先生の講演では、まず始めに現在魅力的な都市と評価されているポートランドが、実は1970年代までは「郊外に住む人々が車で訪れやすい場所を作る」というコンセプトで開発が行われていた事実をご説明頂きました。そこから時代の流れや指導者の若返りがターニングポイントとなり「人々がそこに住んで、歩きたくなるような場所をつくる」という方針に転換し、当時のインフラ整備の変化の様子などについて当時の資料も踏まえ丁寧にご紹介いただきました。
後半はポートランドの実態にも言及され、多様性があるようで、実は”The Whitest City”という別名をもつほど同質的な住民で構成されている事、また近年はジェントリフィケーションが進み家賃が払えない低所得者層は郊外に追いやられ、それでも家賃が払えない場合、他の都市や州へ移住したり、ホームレスになるケースもあるとご説明頂きました。また、公共交通が発達していても近年の急激な人口増加によって70年代と同じ交通渋滞を抱えてしまう問題も指摘されていました。
このようなお話を踏まえ、パネルディスカッションでは、保坂区長、協会副会長の小林先生(明治大学)、協会発起人の鶴田先生(昭和女子大学)にも加わって頂き、それぞれがポートランドで実際に何を感じたのかをコメント頂きました。
このパネルの議論で印象深かった点として、当時のポートランドでうまくまちづくりが進んだのは、政治・市民・企業の三者が合意形成できたことが鍵で、これは世田谷をはじめとした日本の各都市のまちづくりでもとても重要な事だと思いました。
会場からは、今後世田谷において魅力的な住みやすい都市を目指すのに、ITをもっと活用できないか?と言った意見や、ヨーロッパやサンフランシスコと比較した意見や参加者の実体験に基づくポートランド観など、活発な意見が交換されました。
このテーマについては議論がつきることはありませんが、次回の協会主催イベントでは、ポートランド在住の建築家の柳澤恭行先生に現地でのオープンスペースの活用について学びながら、どのように世田谷のまちづくりへ応用できるかを参加者の皆様とも意見交換したいと考えておりますので、こちらもぜひご参加ください。
事務局 中曽根